「例会」 できる できないではなく「やる!」
「例会」
できるできないではなく「やる!」
~思いの強さで人生は変わってくる~
開催日 2019年10月23日(水)15:00~17:00
場 所 ユアーズホテルフクイ 芙蓉の間
講 師 日本電鍍工業(株)代表取締役 伊藤 麻美氏
冒頭、伊藤社長から借り入れの多い負債が10億円以上もある死体の会社を引き継ぎ、専門家からは再建不可能とまで言われた。でも20年やってこれたのは「出来ないことはない」と信じていたからだと、就任当初は目先の未来しか見えていなかったが今はもっと先の未来を見て経営するようになった。
やりたいと思って実現できないのは思いがまだまだ弱いからだ。強い信念が必要だ。出来ないことは本当に存在しない。できることがすべてだと思う。皆さんがやりたいと思っていることを可能にするのは皆様自身である。
父が興した会社の後を引き継いだのは1991年の父が亡くなってちょうどバブルの崩壊の時。父は多角経営をしていて5~6社の関連会社を持っていた。それはリスクを避けるためでもあった。
当時父が健在の時は50億円以上の売り上げがありお金も潤沢にあった。父の死後、そのあとを引き受けた社長が次の手を打たずいつもの通り時計メッキをやり、自動化を進めるため設備投資を行い危機感が全くなかった。社員も良いときは変わり切れていなく井の中の蛙だった。91年バブル崩壊で時計はどんどん安くなっていった。海外へ行ってしまった。
更に携帯が出てきて時計存在が重視されなくなっていった。売上が下がっていくことで自動化機械を入れ、工場建て直しにより対応しようとしたが結果的に10億円の負債を創ってしまった。
そのことでメインバンクから見放され挙句の果て整理回収機構へ移されてしまった。当時父の時代は手形を振り出さない主義だったが後継社長は振り出してしまった。
良かった時200名いた従業員が悪くなった時には48名だった。ほとんどの人は将来を不安視やめていった。残った48人は行動できなかったのか察知する能力がなかった。
当時の伊藤社長は会社に対する思いは全くなかった。ラジオDJを初めて1年だった。一人娘で育ったため危機感なく育った。自分自身も井の中の蛙だった。父を亡くす3年前母もなくした。病名はがんであった。幼稚園の頃からインターナショナルの教育を受け日本は居心地の悪い国だと思っていたどうしても型にはめたがる。どうしても型にはまるのが好きでなかったため宝石鑑定士の資格を取りに米国に渡米した。でも倒産すると言われ日本にもどってくることになった。
自分の生まれ育った土地、家が担保に入り売却せざるを得ないとのことだった。当時の会社は資産を売却し営業を回していくことだった。最後に残ったのが東京の自宅、川口の工場、大宮の本社だった。
99年9月米国より帰国、会社より思い出が残っている自宅を守りたかった。後を受けてもらえる肩を探したが誰も受けてくれなかった。
心境が変わってきた。父がやり残したいことあったのではないか。未来をなくすこと、職場をなくすこと、社員をなくすこと、48名に家族がいるローンが払えなくなる。
売り上げ年50億円が3億円になった。お金も残っていない。でも父が創った会社には優秀な社員がいる。大丈夫だと覚悟を決めた。倒産しても命だけは残る。どうせ死ぬのなら笑顔で死にたいと思った。やるべきことをやったことが良い人生だ。後悔しないこと。
2000年3月代表取締役に就任した。会社を回復させる。リストラはしないと宣言した。人が大切な財産だから。
挨拶から始まったが挨拶をしてくれない。でもしっこく一人一人に挨拶した。業績もオープンにした。チームを大事にした。勝つためにはベクトルが同じ方向に向けることである。
医療、健康、美容に営業をかけていった。強い思いを持っこと、先頭を切ってやることで良い背中を見せることでついてきてくれる。出来ないものはないと信じている。努力すれば明日できるかもしれない。10年後できるかもしれない。出来ないでスタートは駄目。やって見せることが大切だ。
経営者にとって大切なことは聞く耳を持つことであると強調された。
自分を信じて失敗を恐れずに行動し続けることの素晴らしさと出来ないから入るのではなく「やる」と覚悟することが大事であることを実感しましたとの感想がありました。